児島惟謙 こじま いけん
愛媛生まれ、司法官。父は宇和島藩士。高知・長崎に遊学、坂本竜馬・五代友厚らと交友、のち脱藩して倒幕運動に参加。明治4年(1871)司法省に出仕、名古屋裁判所長などを経て、24年(1891)大審院長となる。同年5月大津事件(ロシア皇太子暗殺未遂事件)に直面したが、犯人津田三蔵の死刑を導こうとする政府の干渉を退け、司法権独立の擁護者として名を残す。25年(1892)大審院判事らの弄花(花札)事件で辞任。27年(1894)以降貴族院勅撰議員、衆議院議員(進歩党)を歴任した。
キーワード | 法律家 |
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