先史・伊達氏の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/17 03:11 UTC 版)
保原には、縄文・弥生・古墳時代の土器や石器・住居跡などが町内のあちこちにあり、古くから人々が住んでいたことがわかる。また、5~7世紀と推定される大泉みずほ古墳群跡は、方墳・円墳・前方後円墳が集中する大変珍しい遺跡である。 鎌倉時代初期には、伊達家の始祖・伊達朝宗が源頼朝から伊達郡を拝領し、高子岡城を築いた。小高い丘にあるその城址から伊達平野が一望できる。戦国時代には伊達氏の家臣・中島伊勢(中島宗忠)が保原に入る。中島氏は輝宗時代に、相馬氏との戦いで活躍して伊具郡金山城を与えられ移る。
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