兄妹の再会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/31 16:10 UTC 版)
それからしばらくは兄を待ち続けていた軽大娘皇女であったが、やがてこのような歌を詠む。 君が行き 気長(けなが)くなりぬ やまたづの 迎へは行かむ 待つには待たじ あなたが行ってしまってもうずいぶんになりました、もう待ってはいられません、帰ってこられないならば私が参ります、というような意味である。「やまたづ」とはニワトコのことで、二つの葉が必ず対になって生えることから、二人の関係をそのようになぞらえ「迎へ」の枕詞としたのであろう。 軽大娘皇女は立てた弓が倒れ、また立ち上がり、再び倒れるようにして兄の元へたどり着く。その時に木梨軽皇子はこう詠んだ。 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山の 大峰(おほを)には 幡張(はたは)り立て さ小峰(をを)には 幡張(はたは)り立て 大峰(おほを)よし 仲定める 思ひ妻あはれ 槻弓(つくゆみ)の 臥(こ)やり臥(こ)やりも 梓弓(あづさゆみ) 起(た)てり起(た)てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ 泊瀬の山の峰に幡を立て、仲を確かめあった愛しい妻、立てた弓が倒れ、また立ち上がり、再び倒れるようにしてやって来るその愛しい妻が、たまらなくあはれだ、というような意味である。また続いてこのような歌を詠んだ。 こもりくの 泊瀬(はつせ)の河の 上(かみ)つ瀬に 斎杙(ゐぐひ)を打ち 下(しも)つ瀬に 真杙(まぐひ)を打ち 斎杙(ゐぐひ)には 鏡をかけ 真杙(まぐひ)には 真玉(またま)をかけ 真玉(またま)如(な)す 我が思ふ妹(いも) 鏡如(な)す 我が思ふ妻 ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲ばめ 泊瀬の河の上流に斎杙を打ち、下流には真杙を打ち、斎杙には鏡をかけ、真杙には真玉をかけ、その鏡のように我が思う妹、その真玉のように我が思う妻、おまえがいるからこそ家に帰りたいと思い、国を偲びもするのだ、というような意味である。 泊瀬とは現在の奈良県桜井市初瀬にある初瀬河とその周辺のことで、こもりくは周囲より低く他からは見えない場所を指し、泊瀬の枕詞となっている。また「妹」は血縁上の妹を指すというよりも、ここでは愛しい女性をあらわす言葉として使われている。この二首は読歌(よみうた)である。 木梨軽皇子は再会を喜び、二人はわずかな時間を愛し合うが、やがて二人は自害し物語は幕を閉じる。
※この「兄妹の再会」の解説は、「衣通姫伝説」の解説の一部です。
「兄妹の再会」を含む「衣通姫伝説」の記事については、「衣通姫伝説」の概要を参照ください。
- 兄妹の再会のページへのリンク