元箱根での桟橋騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)
しかし、箱根観光船の利用者は少なかった。当時の箱根町は箱根関所跡などの整備もまだされておらず、多くの観光客は箱根神社のある元箱根へ足を運んでいた。箱根観光船では、元箱根にも寄港する計画を立案したが、駿豆鉄道は安全協定に違反するとして反対した。 そこで、箱根観光船と駿豆鉄道の両社立会いのもと、関東海運局に現地調査を依頼することになり、両社の桟橋が100m以上離れていれば安全上問題ないという回答を得た。これを受けて、箱根観光船では1950年12月に駿豆鉄道の桟橋から100m箱根神社側に寄った位置に桟橋を設置する申請を神奈川県に対して行った。ただし、この場所は富士箱根国立公園(現 : 富士箱根伊豆国立公園)の中で、当時は厚生大臣(厚生省)の許可が桟橋の建設には必要な区域であった(自然公園法も参照)上、元箱根村がこの桟橋の設置に反対したことから、箱根観光船は厚生省への申達を先送りにしていた。 だが、観光シーズンが近づいたことに焦った箱根観光船は、厚生省の許可を得ないまま桟橋の建設を行い、1951年5月1日から元箱根への寄港を開始した。 競争相手が違法に桟橋を建設したのでは、駿豆鉄道側が憤ったのは当然である。もちろん違法である以上、神奈川県としても放置することはできず、桟橋の撤去を箱根観光船に対して命じた。しかし、箱根観光船では桟橋の撤去を拒否した ため、同年8月2日には神奈川県の代執行により強制的に桟橋は撤去された。神奈川県は厚生省と相談して、元箱根に共同桟橋を建設する案を提示した が、駿豆鉄道が承知しなかった ため、駿豆鉄道の桟橋の西側に箱根観光船の桟橋を設置することを認め、1953年6月15日からは正式に箱根観光船も元箱根に寄港するようになった。
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