儀仗兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 13:46 UTC 版)
「自由の記念碑 (リガ)」の記事における「儀仗兵」の解説
儀仗兵は、記念碑完成から1940年まで置かれたが、ラトビア占領直後に廃止され、1992年11月11日に再開されている。儀仗兵は、ラトビア国軍大隊本部の儀仗隊 (ラトビア語: Nacionālo Bruņoto spēku Štāba bataljona Goda sardzes rota) の兵士である。警護は、悪天候であったり、気温がマイナス10度以下、25度以上になったりすると行われない 。警護業務は2週間交代で行われ、衛兵交代式では隊長の命により、3ないし4対の衛兵が1時間ごとに互いの位置を交代する。儀仗兵の傍には、それぞれ2名の警備兵がつき、儀仗兵に異状がないか点検している。 通常、衛兵交代は午前9時から午後6時まで1時間ごとに行われる。1時間の当直につき2時間の休憩が取られており、衛兵は国防省内の1室で過ごす。2004年9月からは、衛兵は警護の間に、30分ごとのパトロールも行うようになった。記念碑の台座から行進移動、記念碑の両側に沿って2度行進した後に、定位置に戻る。 衛兵の条件は身長6フィート(1.82メートル)、健康で、30分間直立不動が求められる。
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