個人経営の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:38 UTC 版)
一方、近代造船所の必要を感じていた川崎正蔵は、1878年(明治11年)に東京の築地に川崎築地造船所を、次いで1881年(明治14年)に神戸に川崎兵庫造船所を設立した。当時はまだ和船が重んじられて経営は苦しく、彼は官糖取り扱いで得た利益をつぎ込んだ。 明治政府は1880年(明治13年)に官営工場を民間に払い下げる方針とし、官営兵庫造船所は1886年(明治19年)になり川崎に払い下げられた。設備・敷地共に川崎兵庫造船所より優れていたので、川崎兵庫造船所の機能はこちらに移設され、官営兵庫造船所は川崎造船所と改称された。東京にあった川崎築地造船所も敷地に工場拡張の余地が無く、また経営上からも2か所の造船所を維持するのは難しいために同所は閉鎖され、工場は神戸に集約された。 川崎造船所は現在の神戸工場の位置にあって船台3基、船架2基の設備を持ち、鉄船の建造能力があった。官営時代に受注し建造中の鉄船もそのまま引き継がれ経営を助けた。1894年(明治27年)に勃発した日清戦争によって新造、修繕の需要が増え、川崎造船所の事業は拡大した。
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