個人事務所設立とラリー参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:23 UTC 版)
「夏木陽介」の記事における「個人事務所設立とラリー参戦」の解説
1982年に三船プロダクションを退社後は個人事務所「夏木プロダクション」で活動し、自身の活動の傍ら、賀来千香子・西村和彦・志村東吾・小沢仁志・小沢和義ら多数の後進を育てた。その後はラリー参戦のため、俳優としての仕事のオファーを断ることが多かった。 自動車好きとして有名で、日本でも石原裕次郎、力道山、夏木の3人だけと言われたメルセデス・ベンツ・300SLを所有するなど免許を取得してから当時の高級車・スーパーカーを中心に数百台は乗り換えていると語っていた。その後はジャガー・SS100、ジャガー・Eタイプ2台、レクサス・SC430、ローバー・ミニなどを自身の愛車とした。またラリードライバーとしても活躍しており、1985年・1986年にドライバーとしてダカール・ラリーに出場。その後1987年から1993年までは「チーム三菱・シチズン夏木」の監督として篠塚建次郎・増岡浩らを出場させた。 2009年7月、軽度の脳梗塞が見つかり、約1週間の入院治療を受ける。また2010年3月には、1984年頃から患っていた胆石の経過観察のため検査を受けたところ、左腎臓に悪性腫瘍が見つかり、5月14日に摘出手術を受けている。 2014年、自身の高齢を理由として夏木プロダクションを営業終了・解散する。2015年には再び自身の個人事務所「オフィス夏木」を作って活動していた。
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