俵ケ浦半島とは? わかりやすく解説

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俵ケ浦半島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 19:16 UTC 版)

佐世保港から望む赤崎岳付近の俵ケ浦半島
俵ケ浦半島最南端にある高後崎灯台と佐世保港の位置

俵ケ浦半島(たわらがうらはんとう)は佐世保湾と外海(五島灘)を隔てている半島相神浦氏関連と思われる中世の海城跡が複数箇所あり、旧帝国陸軍佐世保要塞の堡塁・砲台跡が現存。六方石(肥前六方石)の産出地。

地理

北松浦郡と旧東彼杵郡から成る[1]弓張岳・赤崎岳・石岳から続く山地が半島の中央を占め、平地は少ない。佐世保湾側の入り江(庵の浦と俵ケ浦)に沿った傾斜地に庵浦町(旧東彼杵郡)と俵ヶ浦町(旧北松浦郡)の中心集落がある。外海側は出入りの多いリアス式海岸となっており、南九十九島の島嶼群に続いている。六方石(肥前六方石)の産出地。

半島の最南端にあたる高後崎[2]と対岸の西海市西海町の寄船鼻とは約850mしか離れておらず、狭小な水路で佐世保湾が外海から隔離されていたことが湾奥部に旧海軍の軍港と佐世保鎮守府が置かれる理由の一つとなった。

自然

九十九島一帯は西海国立公園の一部として指定されている。半島の中央部には九十九島の展望所の一つとして開発された展海峰がある。また、西端部には白浜海水浴場と隣接してオートキャンプ場があり、夏季には行楽客で賑わう。2021年(令和3年)3月28日、九十九島観光公園が開園[3]

平戸瀬戸を含む北松浦半島西彼杵半島松島大島は古式捕鯨の基地であったことからも、江戸時代明治時代までは俵ケ浦半島の沿岸部もヒゲクジラ類回遊経路として機能していたと思われる[4][5]

交通

道路

公共交通

  • 西肥バスが半島を縦断し南部の俵ヶ浦バス停を終点とする路線を運行している(旧佐世保市交通局からの移管路線でさせぼバスが担当)。夏季には白浜海水浴場直通の臨時バスもある。

施設

公共

教育機関

その他

  • 俵ケ浦郵便局
  • 海南荘
  • アメリカ海軍庵崎貯油所
  • 高後埼灯台
  • 高後﨑船番所跡
  • 向後崎警備所(旧日本海軍 向後崎防御区)跡[2]

脚注

  1. ^ “長崎県 郡変遷 1889年4月1日”. 市町村変遷パラパラ地図 完全版
  2. ^ a b “長崎ばーどアイ4K 「向後崎警備所跡」”. NBC長崎放送
  3. ^ a b 九十九島観光公園.佐世保市役所
  4. ^ 片岡千賀之, 亀田和彦「明治期における長崎県の捕鯨業 : 網取り式からノルウェー式へ」『長崎大學水産學部研究報告』第93号、長崎大学水産学部、2012年3月、79-106頁、CRID 1050282813716442624ISSN 0547-1427 
  5. ^ 西海鯨鯢記』 13巻〈平戸市の文化財〉、1980年3月。 NCID BN15724724https://sitereports.nabunken.go.jp/99256 

外部リンク

座標: 北緯33度8分 東経129度42分 / 北緯33.133度 東経129.700度 / 33.133; 129.700




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