修道生活の望みとは? わかりやすく解説

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修道生活の望み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:05 UTC 版)

リジューのテレーズ」の記事における「修道生活の望み」の解説

テレーズ4歳のときに、もともと体弱かった母が病死精神的に耐え切れなくなった父は店をたたみ、娘たちをつれて妻の実家ゲラン家があるノルマンディーリジューへと移った1882年テレーズ9歳のとき、それまで母親代わり務めていた次姉ポリーヌリジューカルメル会修道院入った母親次いで、第2の母であった姉を失うという体験は、幼いテレーズの心に大きな影響与える。この頃からテレーズは、修道女なりたいという希望繰り返し訴えるようになる1886年2人の姉マリーレオニー修道院入ったことで、その望みがいっそう強くなった。 テレーズ10歳のとき、突如体調不良訴えたノートルダム教会9日間のミサ捧げてもらい、姉たちもテレーズ聖母像前にひざまずいて祈っていた。聖霊降臨祭の日、テレーズ聖母像微笑むのを目撃したほほえみ聖母)。直後テレーズ全快し健康になっていた。 1887年14歳になったテレーズカルメル会入会を願う。父は許したが、修道院院長指導司祭若さ理由断られる。ついでバイウ司教許可得ようとしたが、やはり年齢理由許可されなかった。同年10月テレーズ15歳の時、父や姉たちと共にローマへ巡礼団に加わった。そこでローマ教皇レオ13世謁見して直接カルメル会入会特別許可願ったが、教皇はやはり司教指導司祭薦めに従うようにと穏やかにテレーズ諭した

※この「修道生活の望み」の解説は、「リジューのテレーズ」の解説の一部です。
「修道生活の望み」を含む「リジューのテレーズ」の記事については、「リジューのテレーズ」の概要を参照ください。

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