信長による茶の湯の政治利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 20:55 UTC 版)
「御茶湯御政道」の記事における「信長による茶の湯の政治利用」の解説
一方では御茶湯御政道は、信長の茶の湯の政治利用の全般を示すとする説もある。田中義成は、信長の茶の湯を「天下経論の一策」と評してその政治性を指摘したが、この田中の説が茶道史研究で継承されてきた。谷端昭夫は、御茶湯御政道は、戦功などによる名物下賜、茶会開催の許可、信長の茶頭を相手とする茶会の許可という段階が踏まれたとしている。また竹本は、名物茶器に従来の室礼としての価値に加えて、信長は茶道具を蒐集・披露・下賜することで和睦・服従・論功といった政治的な価値を付加したと評価している。 なお竹本は、信長の茶の湯の政治利用を実務面で支えたのは、大名茶湯の熟練者で堺代官として堺衆ともつながりの深かった松井友閑だったと推測している。
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