作品の元になった旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 14:05 UTC 版)
1966年(昭和41年)8月、つげは友人の立石とオートバイに2人乗りして千葉・内房の富津岬へ海水浴へ行き、同時に東京湾観音、那古寺を見物し、館山で日が暮れた。宿を探すが見つからず、千倉へ向かう途中で道に迷い真っ暗な田圃道を長く走り続けたあげくにようやく1軒の寿司屋と亀田屋という旅館ともう一軒の隣接する旅館を見つけ、そのうちの一軒に投宿する。周囲は田ばかりで、その一角だけ人家がかたまってあるような寂しい場所で、宿屋も含めどの家も平屋でほとんどの家は雨戸を閉め、宿屋と寿司屋の明かりだけが道を照らしていた。しかし、そんな場所にふさわしくなく宿には、鉤の手の土間があり、土間の隅にはすのこが敷かれ、壁には番傘がかかり帳場には目の高さを格子で囲った机や長火鉢、黒光りする柱時計、神棚、招き猫などが揃っており、さながら時代劇のセットを見るようであった。当時つげは商人宿や木賃宿の趣の残る旅籠風の宿を好んでおり、興趣を感じたのだが、さらに田舎の粗末な旅籠に似つかわしくない30前後の物腰の上品な女が対応に出たため、胸を衝かれる思いをする。翌日、その女は宿の家族ではなく女中だったことを知り、田舎っぽい宿の家族よりずっと気品がある女中の風情をつげは奇異に感じる。出発の際には、女が道に出てオートバイが消えるまで手を振っていた。立石はそれに応えるようにオートバイの尻を振って見せた。その女の風情がつげの心の中にはいつまでも残り続けた。
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