佐賀県武雄市との交流
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1986年(昭和61年)、新屋地区の区画整理に伴う墓地の移転に際して佐賀藩士の墓3基を現在の葉隠墓苑(秋田市新屋日吉町)に移転し、戦没した佐賀藩士54人の名を刻んだ慰霊碑も建立された。移転時に佐賀藩士の子孫を探し出して遺骨を佐賀に返還するかどうか尋ねたところ、藩士の曾孫は秋田の人々が墓を手厚く守っていることに感激し、秋田と佐賀での分骨を望んだという。当地では2020年現在も慰霊祭が行われ、武雄市幹部職員も参列している。 秋田戦争から150年となる2018年には、秋田市と佐賀県武雄市との間で「秋田市及び武雄市の交流に関する協定書」が締結された。この協定では両市が、観光振興・地域振興を協力して進めていくことなどを取り決め、交流の輪を広げていくことが確認された。同年5月12日には、武雄市役所の新庁舎落成を記念し「秋田竿燈まつりin武雄」が佐賀県武雄市において開催され、九州各地から8万人の人出を数えるなど人気を博した。同年8月には武雄市の小学生たちが秋田県を訪れ、秋田市内の小学生たちと親交を深めた。
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