佐藤の行なう批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:56 UTC 版)
作品の冒頭でフィクションや娯楽作品としての演出を強調する一文が挟まれている。ゲームデザイナー時代には「ソヴィエト以外はどこかの弁護士会から苦情がくる国ばかりなので」という自主規制の条件を設け、ゲームの舞台設定に対ソ戦を選択した旨が記されている。小説時代になると保守系のマスメディアで見られる主張よりさらに踏み込んで「少数民族が割を食うのは当然」「日本人以外の全民族が絶滅しても構わない」といったファナティックなフレーズが随所に散りばめられ、大抵の作品では日本以外(日本国内なら沖縄のような反政府運動の激しい地域)で大量虐殺が発生するような歴史改変(後述)が行われているものが多い。 他に嫌っている人物としてはトム・クランシーが挙げられる。しかし、自国の賛美、軍事面でのリアリティ、作者の望むような政策が国により行なわれる設定と言った点では、自己の作品が「日本版トム・クランシー」と言える内容になっている。 もっとも、無能だと判断した人物はたとえ保守的であっても容赦なく批判の対象にしている。例えば、日本軍批判の際の姿勢は一般の軍事評論家とそう代わるものではなく厳しい。また、藤大輔名義では石原慎太郎を「二流の政治屋」と呼び、中曽根政権の対米追従型軍拡にも批判的で、作品内で抹殺したと取れる描写まである。
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