佐渡鉱山長官
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明治5年(1872年)5月工部省鉱山寮に出仕、官業として稼行する価値の有無を探るため、イギリス人鉱山師長ゴッドフレーと共に北関東・東北・北越・佐渡鉱山の点検巡察を4ヶ月かけておこない、洋式溶鉱炉の建設等の改革案を提出した。 明治6年(1873年)7月佐渡支庁主任となり、単身佐渡に赴いた。『佐渡奉行は鉱穴にも入る殿様』といわれるように何事も率先垂範し、外人5人を含む15人の有能な技術者を呼び寄せ、熔鉱炉の新増設、大立堅坑の開削、新製錬方式の導入など佐渡鉱山の近代化に力を発揮した。明治7年(1874年)5月、鉱山権助(勅任官)に任じられた。
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