佐伯氏の時代(平安時代 ~ 鎌倉時代初期)
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「厳島神主家」の記事における「佐伯氏の時代(平安時代 ~ 鎌倉時代初期)」の解説
推古天皇元年(593年)に、安芸国佐伯の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのが厳島神社の縁起である。文献にその名が初めて認められるのは弘仁2年(811年)となる。その後、厳島神社の神主家は佐伯氏が世襲していた。平安時代末期の神主家の当主であった佐伯景弘は、平氏一門に取り入り、厳島神社は平家の保護を受け、栄えた。その後、平家は元暦2年/寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで壊滅した。鎌倉幕府が開かれ源氏の時代となると、佐伯景弘は今度は鎌倉幕府に取り入った。その後の30年、時代の荒波を乗り越えて、厳島神社と神職の佐伯氏は繁栄を続けた。 しかし佐伯氏の繁栄は続かなかった。承久3年(1221年)の承久の乱で、佐伯氏は後鳥羽上皇側として活動したため、乱の終結後に佐伯氏は神主家当主の座を降ろされ、鎌倉幕府の御家人であった藤原親実が新たな厳島神主家となった。その後の佐伯氏は、厳島神社の神官として活動することとなるが、建長3年(1251年)に奉納する舞を巡っての内部対立から訴訟問題を起こしている。
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