佐久良東雄旧宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 09:01 UTC 版)
東雄が幼少時を過ごした生家は、1944年に国の史跡に指定された。正面に長屋門を構え、中庭をへだてて茅葺平屋建の母屋を有している。母屋の向って右側には土間、左側にはいわゆる田の字型の配置をした部屋が見られる。母屋の建物時期は正確には明らかにされていないが、広間型の旧式の間取りや構造手法、表門の建立許可文書などから、18世紀中期から末期、宝暦から天明期の建築と推定されている。屋敷はもと恋瀬川付近の平坦地に建てられ、氾濫のために現在地へ移築されたと伝えられるが、それに関しては史料が残されていない。飯島家は浦須村名主と鍛冶屋を兼業してきたが、明治初年頃に鍛冶屋を廃業している。建物も幾度かの修理を経てはいるが、常陸地方の旧民家の特徴をよく残しており、高い価値を認められている。 史跡(国指定) 佐久良東雄旧宅 茨城県石岡市浦須314-1 指定年月日 1944年(昭和19年)3月7日
※この「佐久良東雄旧宅」の解説は、「佐久良東雄」の解説の一部です。
「佐久良東雄旧宅」を含む「佐久良東雄」の記事については、「佐久良東雄」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から佐久良東雄旧宅を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 佐久良東雄旧宅のページへのリンク