伝説のスポーツカーメーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:11 UTC 版)
「ブガッティ」の記事における「伝説のスポーツカーメーカー」の解説
ブガッティの創始者、エットーレ・ブガッティは1881年、イタリア・ミラノの芸術家一族の家に生まれた。若くして多くの自動車のエンジンの設計に携わり、さらに1909年には、自動車会社を設立、自ら自動車の設計を始めるようになり、高級クラスの市販車とグランプリレースで活躍し、知名度をあげた。 その後イタリアから当時ドイツ領であった(現フランス領)アルザス地方のモルスハイムに移った。エットーレは多くのエンジンを設計し、レースではフランス・グランプリでの勝利に始まり、第1回、2回、3回モナコグランプリでの3年連続優勝、タルガ・フローリオでの優勝などの成績を残した。 その後、自動車生産と並行して気動車、飛行機の設計を行ったが、商業的に成功しなかった。1939年、エットーレの息子、ジャン・ブガッティがレースカーのテスト中に事故死し、会社の業績も下向きとなった。さらに第二次世界大戦でモルスハイムの工場は破壊され、エットーレ・ブガッティは1947年に他界した。 その後はルヴァロワ工場で飛行機用エンジンを細々と生産し、フランスの製造業社イスパノ・スイザに納入していたが、1963年に同社に吸収され、さらに1968年にスネクマ(現・サフラン)に吸収され、現在はサフラングループ傘下のメッサー・ブガッティとして飛行機のブレーキ・ホイールを作成している。 有名なモデルとしては、タイプ35、タイプ41ロワイヤル、タイプ57クーペ・アトランティーク、タイプ55などがある。また、ブガッティ・ヴェイロンなどもあり、スポーツメーカーのなかでも特に有名である。 タイプ41 ロワイヤル (1932) タイプ57 クーペ・アトランティーク(1938) タイプ55
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