会議の決定事項と結果とは? わかりやすく解説

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会議の決定事項と結果

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/23 14:40 UTC 版)

リューベチ諸公会議」の記事における「会議の決定事項と結果」の解説

原初年代記』は、諸公による領土分割に関する話し合い様子次のように記している。 スヴャトポルク、ウラヂミル、イゴリの子ダヴィドロスチスラフの子ヴァシリコ、スヴャトスラフの子ダヴィド、そして彼の兄弟オレグがやって来た。平和をうち立てるためにリュベチに集まり互いに話しあって「…(中略)…スヴャトポルクはイジャスラフの世襲領地キエフを、ウラヂミルはフセヴォロドの世襲領地を、ダヴィドオレグヤロスラフスヴャトスラフ世襲領地を」と言った。フセヴォロドはかつて町を分け与えていた。すなわちダヴィドにはヴラジミリの町を、ロスチスラフ二人の子ヴォロダリにはペレムィシリを、ヴァシリコにはテレボヴリを。 — 國本哲男他訳、『ロシア原初年代記名古屋大学出版会1987年278頁より引用 上記記述整理すると、諸公領土は以下のように分配されたことになる。 スヴャトポルク2世[A]:年長者としてトゥーロフ・ピンスクを含むキエフ留まりキエフ大公称号を持つ。 ウラジーミル・モノマフ[B]:ペレヤスラヴリスーズダリロストフスモレンスク、ベロオゼロ。 ダヴィド(ru)[C]とオレグ(ru)[D]兄弟チェルニゴフシヴェーリアリャザンムーロム、トムトロカン(ru)。 イーゴリの子ダヴィド[E]:ルーツィクを含むウラジーミル・ヴォリンスキー。 ヴァシリコ[F]とヴォロダリ[G]兄弟:テレボヴリ、チェルヴェン(ru)、ペレムィシリ。 しかしリューベチでの決定は、内紛を完全に防ぐことはできなかった。この決定事項は、早くもリューベチ会談同年に、ヴァシリコから領土奪おうとした、イーゴリの子ダヴィドによって破られた。ダヴィドはヴァシリコを欺いて捕らえ両目を抉った。この行為は他の公たちの憤慨招き諸公間の紛争へと発展した1100年、ウヴェティチ(現ウクライナ・ヴィターチウ(uk))で、紛争調停するため新たな会議(ru)が開かれたリューベチ諸公会議もう一つ目的であったポロヴェツ族に対しては、スヴャトポルク2世ウラジーミル・モノマフらをはじめとする諸公連合軍が、1103年会戦ポロヴェツ諸部族連合軍破った1111年ドネツ川上流戦いでは、ポロヴェツ族大打撃与えたその後ポロヴェツ族攻撃的な行動減少し、しばしば、ルーシポロヴェツ指導者層の間で婚姻結ばれたまた、ルーシ諸公は他の公との紛争に、ポロヴェツ族援軍を頼むということ起きたポロヴェツ族最大脅威であることには変わりがなかったが、時代が下ると共に上記のようにルーシ諸公ポロヴェツ族との関係は変遷していくことになる。

※この「会議の決定事項と結果」の解説は、「リューベチ諸公会議」の解説の一部です。
「会議の決定事項と結果」を含む「リューベチ諸公会議」の記事については、「リューベチ諸公会議」の概要を参照ください。

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