会所の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 13:59 UTC 版)
日本は、応仁の乱や明応の政変を契機として戦国時代に突入した。それまで支配者の立場であった武士層・貴族層が没落しだし、代って文化面でも戦国大名、町民が台頭してきた。茶についても闘茶から村田珠光流の茶の湯へと流行が移っていった。茶の湯を飾るのは、それまでの支配者から買い取られた唐物であった。より茶の湯に適した建物である茶湯座敷が発展し、連歌を張行する文芸の場としては、数寄座敷が生まれた。そして江戸時代までには会所は姿を消し、寄合の場としては、町会所、会所地と呼ばれるものも出てくる。だが無縁の空間としての伝統は、形を変えて江戸時代にも変らず、また近代まで、そこかしこに残っていたという。
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