伊藤直人_(競馬)とは? わかりやすく解説

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伊藤直人 (競馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 13:47 UTC 版)

伊藤直人
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1974-08-26) 1974年8月26日(50歳)
身長 167cm
体重 50kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦小林常泰(1993年 - 2007年)
美浦・斎藤誠(2007年 - 2011年)
美浦・粕谷昌央(2012年)
初免許年 1993年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2012年2月29日
重賞勝利 6勝
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伊藤 直人(いとう なおと、1974年8月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元騎手・現調教助手

騎手免許は平地競走障害競走両方の免許を所持していた。

高知所属の騎手・山頭信義は甥。

来歴

父は大井の元騎手で船橋競馬場厩務員であったため、子供の頃は厩舎や馬場を遊び場とし、ハローをかけて整備した馬場でプロレスごっこをしたり、厩舎でかくれんぼをして馬がいる馬房の上に隠れるなどしていた[1]

馬が身近な環境で育ったため、当たり前のように騎手になる、という感じで、中学時代にはトレンディドラマを見て逆にサラリーマンに憧れたりした[1]

父からは「騎手になれ」など特に何も言われず、伊藤自身は中央でも地方でもどちらでも良かったが、父が毎晩のように行っていた近所の焼き鳥屋で飲み仲間であった千葉テレビ放送に勤務する人物が「騎手になりたいなら、 中央の願書を持ってきてやるよ」って言ってくれた[1]。中央の試験の方が先にあったため[1]、伊藤は「もし中央に落ちたら地方を受ければいいや」と思いで受けたところ[1]、試験も一発で受かり[1]競馬学校入学後は9期生として飯田祐史亀山泰延川合達彦小林徹弥嶋田高宏宗像徹と同期になる。

厩舎育ちで馬には慣れていたが、乗馬をしてきたわけではなく、ただ跨っていただけであったため、入学後は飯田が立派に乗っている中、伊藤は馬に自由気ままに遊ばれて「何だ、 馬に乗るのってこんなに難しいのか」と思った[1]

成績は最初から割りと良い順位であり、2学年上の藤田伸二から最初に「お前、1位らしいな。男だったら一度1位を取ったら落ちるんじゃねえぞ」 みたいなことを言われ、その後も、伊藤の記憶するところでは、ほとんど1位であった[1]

卒業後の1993年3月美浦小林常泰厩舎からデビューし、同6日中山第2競走4歳未勝利・カミノダイリン(14頭中8着)で初騎乗[2] [3]を果たす。5月8日新潟第11競走尖閣湾特別・トウショウジゴロで初勝利[4] [3]を挙げ、後に武幸四郎鈴木慶太吉村誠之助と続くメインレースでの初勝利[5]となった。オークスデーの5月23日には東京最終第11競走4歳以上500万下で18頭中18番人気のハグロウォリヤに騎乗し、10番人気アイランドリバーの2着に入り、馬連は153通り中138番人気で、当時の馬連史上第2位となる17万7030円の大波乱となった[6] [7]。夏は小倉に遠征し、毎日10万ずつ下ろして、夜8時半過ぎの日没と同時に起き、日が昇ると同時に帰り、暑い昼はずっと寝るという生活になったが、3kg減の伊藤を関西の関係者は喜んで乗せた[8]7月24日の第6競走3歳新馬を14頭中14番人気のリスクフローラで逃げ切り[9]同31日翌月1日には初の2日連続勝利[10]を記録するなど、小倉で6勝[11]を挙げ、1年目の同年は8勝[12]をマーク。

2年目の1994年には3月13日の中山で初の1日2勝[10]皐月賞が行われた4月17日の中山では最終第11競走4歳以上900万下をスーパーライセンスで勝利[13]。同年は初の2桁となる14勝をマークし、1997年まで4年連続2桁勝利を記録するが、結局この年と1999年と14勝がキャリアハイとなった[12]

3年目の1995年には9月23日の中山第11競走セプテンバーステークスを13頭中12番人気のミラクルドラゴンズで逃げ切って単勝・馬連万馬券[14]の波乱を起こし、ミラクルドラゴンズでは明け9歳になった1996年3月31日の中山第11競走船橋ステークスを15頭中14番人気で勝利して馬連万馬券[15]と2年連続で穴を開けた。

1996年6月29日の中山第9競走あさがお賞ではアイネスフウジン産駒ヘッドラインでシンコウウインディの2着に逃げ粘り、ヘッドラインでは1997年秋の東京ダート1600mの500万下→900万下を連勝し、1998年には新潟公営の豊栄記念を勝利[16]

1998年3月14日中京第12競走4歳以上500万下では16頭中12番人気のハギノカムイオー産駒オギスイートハート[17]でハナ、ハナの接戦を勝利して馬連万馬券[18]の波乱を起こし、管理する伊藤圭三調教師の初勝利[19]となった。伊藤の重賞初出走[19]となった京王杯スプリングカップ・アドニス(16頭中16着)[20]、初の特別勝ちとなった8月16日札幌第11競走報知杯大雪ハンデキャップ・ラストヒットにも騎乗[21]。ラストヒットは伊藤の実家であるグランド牧場生産馬で[22]、公営新潟所属時は上山で行われた東北優駿[23]・北日本オークス[24]を制し、大雪ハンデは11頭中10番人気で馬連万馬券[25]の波乱となった。

1999年札幌3歳ステークスでは相沢郁厩舎のマイネルコンドルに騎乗し、同厩で同じ厩務員が担当していた[8]ジョウテンブレーヴの騎手が未定になっていたところ、同期の小林を相沢に薦める[26]。レースでは4コーナーを回る時にジョウテンブレーヴと同じ位置にいて“さあ行きますか”と一緒に追い出すと[26]、抜け出したエンゼルカロの内からマイネルコンドル[26]、外から小林のジョウテンブレーヴ[26]で叩き合い[8]を演じ、同厩・同厩務員・同期のワンツー[8]をアタマ差[27]制して重賞初勝利[3]を挙げる。マイネルコンドルは6番人気、ジョウテンブレーヴは12番人気と大穴で馬連万馬券[27]となり、伊藤と小林は競馬の後にどんちゃん騒ぎした[26]

1999年からはスマートボーイ主戦騎手[28]となり、ダート中長距離戦を得意とする果敢な逃げ馬と息の合ったコンビ[29]で活躍。展開のカギを握り[29]、時には早々と追撃されて失速することもあったが[29]、勝ちパターンに持ち込むと滅法強く[29]、ハイペースで飛ばしてねじふせるという豪快なレースぶりで多くのファンを魅了[30]2000年にはマーチステークス小池隆生タマモストロングの2着[31]に入り、小池とタマモストロングのコンビとはレースが一緒になることが多く、後にはタマモストロングのことが「あの馬さえいなければ勝てたのにな」と思うほど印象に残り、自分の中では「コイケストロング」と呼んでいた[32]。続くアンタレスステークスでは逃げ切って重賞初勝利[28]に導くと同時に自身は重賞2勝目[3]を挙げ、東海ステークスでは完璧に手応えが残っていた中で最後に来たファストフレンド[32]にクビ差[33]交わされて2着[28]に終わる。エルムステークス[28]ではゲートインした後に隣の枠に入ったゴールドティアラをじっと見つめてしまい、スタートで大出遅れし、最後方追走のまま殿負けを喫した[30]2001年にはアンタレスステークスでリージェントブラフ[34]他を寄せつけずぶっち切って逃げ切り連覇し[35] [3]、エルムステークスでは3着[28]であった。2002年には平安ステークス[28]で久々に逃げに徹して押し切り圧勝し[36]、マーチステークスとエルムステークスは共に2着[28]であった。2003年には平安ステークスで脚抜きのいい重馬場も利して徐々に後続を引き離すと、最後は3馬身差で逃げ切り、8歳馬ながら1分49秒7という速い決着を制した[37]。2着には13番人気のクーリンガーが入り、馬連は13万3810円、馬単も21万4360円の高配当であった[37]。4年連続出走となったマーチステークスも逃げ切って[28]重賞5勝目[3]を挙げ、スマートボーイとのコンビでアンタレスSと平安Sの連覇にマーチSを合わせた5つの重賞勝ち[3]を決め、生涯で4億円を超す賞金を獲得[29]

2007年からは斎藤誠厩舎所属[38]となるが、2010年12月12日の小倉第9競走3歳以上500万下・ディアトウショウが最後の勝利[39]となる。

2012年には粕谷昌央厩舎に移籍し[40]2月26日の中山第12競走4歳以上1000万下・ローブドヴルール(16頭中10着)が最後の騎乗[41]となり、同29日付で現役を引退[3]

引退後は粕谷厩舎の調教助手[42]となり、後には堀宣行厩舎[43]に移籍。

騎乗成績

日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 1993年3月6日 2回中山3日2R 4歳未勝利 カミノダイリン 14頭 8 8着
初勝利 1993年5月8日 1回新潟5日11R 尖閣湾特別 トウショウジゴロ 8頭 2 1着
重賞初騎乗 1993年7月11日 1回福島8日11R 七夕賞 ユーワビーム 16頭 16 16着
重賞初勝利 1999年9月25日 2回札幌7日11R 札幌3歳S マイネルコンドル 13頭 8 1着
GI初騎乗 2000年4月16日 3回中山8日11R 皐月賞 マイネルコンドル 18頭 15 17着
障害 初騎乗 2006年3月11日 2回中山5日4R 障害未勝利 テルミドール 14頭 7 8着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1993年 8 8 13 217 .037 .074 .134 -
1994年 14 23 24 304 .046 .122 .201 -
1995年 11 8 18 247 .045 .077 .150 -
1996年 10 13 8 205 .049 .112 .151 -
1997年 10 11 6 142 .070 .148 .190 -
1998年 9 10 15 188 .048 .101 .181 -
1999年 14 10 8 180 .078 .133 .178 -
2000年 11 17 14 215 .051 .130 .195 -
2001年 10 15 19 227 .044 .110 .194 -
2002年 9 15 10 257 .035 .093 .132 -
2003年 9 13 6 207 .043 .106 .135 -
2004年 4 8 12 151 .026 .079 .159 -
2005年 5 4 4 120 .042 .075 .108 -
2006年 1 5 3 106 .009 .057 .085 0 1 1 16 .000 .063 .125
2007年 4 0 3 85 .047 .047 .082 0 1 0 9 .000 .111 .111
2008年 3 2 3 87 .034 .057 .092 -
2009年 2 5 4 80 .025 .088 .138 -
2010年 3 2 5 70 .043 .071 .143 -
2011年 0 4 0 75 .000 .053 .053 -
2012年 0 0 2 9 .000 .000 .222 -
中央 137 172 176 3156 .043 .098 .154 0 2 1 25 .000 .080 .120
地方 6 5 11 112 .054 .098 .196 -

主な騎乗馬

  • マイネルコンドル(1999年札幌3歳ステークス)
  • スマートボーイ(2000年・2001年アンタレスステークス、2002年・2003年平安ステークス、2003年マーチステークス)
その他

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 1ページ”. smart.umasq.jp. 2025年2月27日閲覧。
  2. ^ 伊藤直人の近走成績”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h JRAホームページ|データファイル|騎手・調教師データ”. www.jra.go.jp. 2025年2月27日閲覧。
  4. ^ 伊藤直人の近走成績”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  5. ^ 【六甲S】吉村誠之助 メインレースでのJRA初勝利「周りの方が声をかけてくれて勝ったと」”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  6. ^ 4歳以上500万下|1993年5月23日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  7. ^ FURIKAERU”. 1999年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月27日閲覧。
  8. ^ a b c d 2ページ”. smart.umasq.jp. 2025年2月27日閲覧。
  9. ^ 3歳新馬|1993年7月24日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  10. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|伊藤直人の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  11. ^ 抽出[1993年度 1着レース]|伊藤直人の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  12. ^ a b 伊藤直人の年度別成績”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  13. ^ 1994年04月17日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  14. ^ セプテンバーS|1995年9月23日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  15. ^ 船橋ステークス|1996年3月31日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  16. ^ ヘッドライン (Headline)”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  17. ^ オギスイートハート (Ogi Sweet Heart)”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  18. ^ 4歳以上500万下|1998年3月14日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  19. ^ a b 伊藤圭三のプロフィール”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  20. ^ 京王杯スプリングC|1998年5月16日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  21. ^ 抽出[]|伊藤圭三の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  22. ^ ラストヒット (Last Hit)”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  23. ^ web Furlong 2012【REWIND 90's】第20回 1996年 新潟ダービー・東北優駿”. www.keiba.go.jp. 2025年2月27日閲覧。
  24. ^ 1996年”. www.nispo.co.jp. 2025年2月27日閲覧。
  25. ^ 報知杯大雪ハンデ|1998年8月16日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  26. ^ a b c d e 伊藤直人元騎手が小林徹弥元騎手を悼む「しびれた」札幌3歳Sで同期コテツとのワンツー - 競馬 : 日刊スポーツ”. www.nikkansports.com. 2025年2月27日閲覧。
  27. ^ a b 札幌3歳ステークス|1999年9月25日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h スマートボーイ (Smart Boy)”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  29. ^ a b c d e スマートボーイを訪ねて~アロースタッド”. uma-furusato.com. 2025年2月27日閲覧。
  30. ^ a b 日本ダービー以来の勝ち星を掴んだダノンデサイル エピファネイア産駒は今年も好調維持中”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  31. ^ マーチステークス|2000年3月25日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  32. ^ a b 3ページ”. smart.umasq.jp. 2025年2月27日閲覧。
  33. ^ 東海TV東海S|2000年5月21日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  34. ^ アンタレスステークス|2001年4月22日”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  35. ^ 今週の顔”. www2.keibado.ne.jp. 2025年2月27日閲覧。
  36. ^ 競馬ブックコーナー”. www2.keibado.ne.jp. 2025年2月27日閲覧。
  37. ^ a b 【毎日ベスト3】平安Sのびっくり配当ベスト3 - 毎日ベスト3 - 競馬コラム : 日刊スポーツ”. www.nikkansports.com. 2025年2月27日閲覧。
  38. ^ 伊藤直人騎手が所属変更|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年2月27日閲覧。
  39. ^ 抽出[通算 1着レース]|伊藤直人の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  40. ^ 伊藤直人騎手が粕谷厩舎所属に|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年2月27日閲覧。
  41. ^ 伊藤直人の近走成績”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。
  42. ^ 高橋亮騎手、伊藤直人騎手及び4人の調教師が今月末で引退|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年2月27日閲覧。
  43. ^ 同期元騎手の伊藤直、亀山両助手の切磋琢磨 - 東京スポーツ”. netkeiba.com. 2025年2月27日閲覧。

関連項目


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