伊藤光夫とは? わかりやすく解説

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伊藤光夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 21:55 UTC 版)

伊藤 光夫
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間 1961年 - 1967年
初レース 1961年フランスグランプリ 125cc
最終レース 1967年日本グランプリ 50cc
初勝利 1963年マン島TTレース 50cc ウルトラ・ライトウェイトTT
最終勝利 1967年日本グランプリ 50cc
チーム スズキ
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
29 2 13 0 1 93

伊藤 光夫(いとう みつお、1937年1月1日 -2019年7月3日[1][2])は、静岡県磐田市出身の元モーターサイクルロードレースライダー[3]

2輪での経歴

伊藤はスズキの社員ライダーであり[1]、初レースは1959年の第2回浅間火山レース125ccクラスであった。このレースではぬかるみに足を取られ転倒リタイアしている[4]。世界GPデビューは1961年フランスグランプリで、125ccクラスはスタートせず、250ccクラスは3周目にリタイアしている[5]。翌1962年、50ccクラスでランキング5位となり、それから1965年まで4年連続でランキング5位に入った。1963年に日本人として初めてマン島TTレース 50cc ウルトラ・ライトウェイトTTクラスで優勝を果たした。このときのマシンはRM63であった[6]。伊藤は現在でも唯一の日本人勝者である[1][7]。その後は1967年の日本GPでも50ccクラスで優勝している[3]。現役引退後はデイトナレースの監督を務め、他にはMFJの技術委員も務めた。2018年にはMFJモーターサイクルスポーツ殿堂の第1回殿堂顕彰者に選出され[1]12月15日に授章式が行われた[6]

4輪での経歴

伊藤は1970年に富士スピードウェイで行われたJAFグランプリ・フォーミュラ・ジュニア「ジュニアセブンチャレンジカップレース」にシングルシーターのスズキ・フロンテRFで出場、平均速度130.9 km/hで優勝している[8]。2週間後に行われたJAFグランプリレース大会が彼が出走したもう一つの4輪レースであった[9]

1968年8月にはフロンテSSのプロモーションのためにスターリング・モスと組んでイタリアミラノからナポリに通じるアウトストラーダ A1750 km (466 mi)を高速で走行した。平均速度は122.44 km/h (76.08 mph)で、わずか356ccのエンジンを搭載した車両で達成した記録として賞賛される[10]

世界選手権 記録

Race Results - Isle of Man TT Official Website[3][11]より。

順位 1 2 3 4 5 6
ポイント 8 6 4 3 2 1

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

クラス チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位 勝利数
1961年 125cc スズキ ESP
-
GER
-
FRA
NC
IOM
NC
NED
-
BEL
-
DDR
-
ULS
-
NAT
-
SWE
-
ARG
-
0 - 0
250cc スズキ ESP
-
GER
-
FRA
NC
IOM
NC
NED
-
BEL
-
DDR
-
ULS
-
NAT
-
SWE
-
ARG
-
0 - 0
1962年 50cc スズキ ESP
-
FRA
6
IOM
5
NED
5
BEL
-
GER
3
DDR
2
NAT
2
FIN
-
ARG
4
23 5位 0
125cc スズキ ESP
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
-
DDR
-
NAT
-
FIN
-
ARG
3
4 13位 0
1963年 50cc スズキ ESP
-
GER
5
FRA
-
IOM
1
NED
5
BEL
5
FIN
-
ARG
-
JPN
6
20 5位 1
125cc スズキ ESP
-
GER
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
BEL
-
ULS
-
DDR
-
FIN
-
NAT
-
ARG
-
JPN
6
1 20位 0
1964年 50cc スズキ USA
3
ESP
3
FRA
-
IOM
5
NED
3
BEL
4
GER
3
FIN
-
JPN
-
19 5位 0
125cc スズキ USA
2
ESP
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
GER
-
DDR
-
ULS
-
FIN
-
NAT
-
JPN
-
6 8位 0
1965年 50cc スズキ USA
-
GER
4
ESP
-
FRA
4
IOM
NC
NED
4
BEL
4
JPN
3
16 5位 0
1966年 50cc スズキ ESP
-
GER
-
NED
-
IOM
NC
NAT
-
JPN
4
3 6位 0
125cc スズキ ESP
-
GER
-
NED
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
IOM
-
NAT
-
JPN
3
4 9位 0
1967年 50cc スズキ ESP
-
GER
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
BEL
-
JPN
1
8 6位 1

出典

  1. ^ a b c d “【訃報】日本人唯一のマン島TTレース勝者、伊藤光夫さん亡くなる”. autosport web (株式会社三栄). (2019年7月3日). オリジナルの2019年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190703152955/https://www.as-web.jp/bike/498937?all 
  2. ^ 伊藤光夫氏のご逝去について”. スズキレーシングレポート. スズキ株式会社 (2019年7月3日). 2021年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月3日閲覧。
  3. ^ a b c Mitsuo Itoh career statistics”. motogp.com. 2010年12月28日閲覧。
  4. ^ “追悼:日本モータースポーツ文化の礎を築き逝った昭和のレジェンドライダーたち”. モーサイ (株式会社八重洲出版). (2019年7月17日). オリジナルの2019年12月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191222154356/https://mc-web.jp/archive/history/11980/ 
  5. ^ Clew, Jeff (1980) (English). Suzuki. Sparkford: Haynes. p. 109. ISBN 0 85429 243-8 
  6. ^ a b スズキのレジェンドライダー伊藤光夫氏 MFJモーターサイクルスポーツ殿堂へ”. くるまのニュース (2018年12月18日). 2025年7月4日閲覧。
  7. ^ Mitsuo Itoh profile”. iomtt.com. 2010年12月28日閲覧。
  8. ^ 国内競技結果検索 レース: ジュニアセブンチャレンジカップレース 1970”. 日本自動車連盟. 2012年2月7日閲覧。
  9. ^ 国内競技結果検索 レース: ドライバー詳細(カテゴリ別)”. 日本自動車連盟. 2012年2月7日閲覧。
  10. ^ 小関和夫 (2007). スズキストーリー 小さなクルマの大きな野望. 三樹書房. p. 31. ISBN 978-4-89522-503-8 
  11. ^ Mitsuo Itoh Isle of Man TT results”. iomtt.com. 2010年12月28日閲覧。



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