1964年の日本グランプリ (ロードレース)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 16:20 UTC 版)
レース詳細 | |||||||||||||
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1964年のロードレース世界選手権 全12戦中第12戦 | |||||||||||||
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決勝日 | 1964年11月1日 | ||||||||||||
開催地 | 鈴鹿 | ||||||||||||
開催コース | 常設サーキット 5.821km
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350 cc | |||||||||||||
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250 cc | |||||||||||||
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125 cc | |||||||||||||
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1964年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権の1964年シーズン第12戦として、11月1日に三重県の鈴鹿サーキットで開催された。
レースは50cc、125cc、250cc、350ccが予定されていたが、50cc(ラルフ・ブライアンズが優勝)は出走したライダーが5名のみで、世界選手権からは除外された。
350ccも50cc同様の理由で選手権から除外される危険があったが、最少出走者数6名を確保するため無名のインドネシア人ライダーが雇われ決勝を走行した。そのライダーは5周でリタイアした。レースはジム・レッドマンがMZのマイク・ヘイルウッドを抑えて優勝した。アラン・シェパードも本GPに参加予定であったが、GP前のテストでクラッシュ、頭蓋骨を骨折したため出走できず、彼はこの負傷が原因で選手生命を絶たれることとなった。
250ccではレッドマンが6気筒エンジンを搭載したホンダの新型マシンで優勝を飾った。
125ccでは、前年に転倒、負傷のためリタイアしたエルンスト・デグナーが雪辱して優勝を果たした。
350ccクラス決勝結果
順位 | ライダー | 車両 | タイム | ポイント |
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1 | ![]() |
ホンダ | 1h 04' 55" 3 | 8 |
2 | ![]() |
MZ | +30" | 6 |
3 | ![]() |
ホンダ | +1' 32" 2 | 4 |
4 | ![]() |
ホンダ | +2' 14" | 3 |
5 | ![]() |
ホンダ | +2' 21" 5 | 2 |
250ccクラス決勝結果
順位 | ライダー | 車両 | タイム | ポイント |
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1 | ![]() |
ホンダ | 1h 01' 33" 9 | 8 |
2 | ![]() |
ホンダ | +40" 7 | 6 |
3 | ![]() |
ヤマハ | +1' 20" 9 | 4 |
4 | ![]() |
ホンダ | +1' 38" 3 | 3 |
5 | ![]() |
MZ | + 1 Lap | 2 |
125ccクラス決勝結果
順位 | ライダー | 車両 | タイム | ポイント |
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1 | ![]() |
スズキ | 32' 33" 5 | 8 |
2 | ![]() |
ホンダ | +1" 2 | 6 |
3 | ![]() |
スズキ | +11" 4 | 4 |
4 | ![]() |
スズキ | +52" 2 | 3 |
5 | ![]() |
ヤマハ | +1' 10" 6 | 2 |
6 | ![]() |
ヤマハ | +1' 36" 1 | 1 |
参考文献
参照
外部リンク
前戦 1964年のイタリアグランプリ |
ロードレース世界選手権 1964年シーズン |
次戦 1965年のアメリカグランプリ |
前回開催 1963年の日本グランプリ |
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次回開催 1965年の日本グランプリ |
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