代燃車による運行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:33 UTC 版)
市営バスでも木炭バスの運行が始まり、1938年(昭和13年)から市営バスでも大口 - 子安線で運行開始された。当初大口 - 子安線が選ばれたのは、坂が無く平坦なため馬力が無い木炭バスでも走行できたからであった。1940年(昭和15年)には保有車両の3分の2が木炭バスになっていた。車庫ではガス中毒で倒れる整備員が出たり、坂道では馬力不足で乗客を降車させ運行したり、また運転には非常に高度な技術を要するなど職員は大変苦労したという。やがて木炭すら満足に入手できなくなると、市営バスは市電との並行区間を中心にそのほとんどが運行休止された。木炭バスは戦後の1952年(昭和27年)頃まで走り続けた。 石油資源がない日本は戦争が進むにつれてガソリン使用が厳しく統制されていき、1941年(昭和16年)に太平洋戦争が始まると、同年の政府通達によりついにガソリンの使用が禁止され、代用燃料車のみ運行可能となった。これにより市営・民営バスを問わず運行規模の縮小を余儀なくされた。その後は戦局悪化に伴い電気局からも職員が次々と戦場へ駆り出されていき、当時の「電気局報」には日増しに悲報の数が増えていった。
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