代々木選手村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 12:43 UTC 版)
「ワシントンハイツ (在日米軍施設)」の記事における「代々木選手村」の解説
詳細は「代々木選手村」を参照 東京オリンピック選手村の候補地にはワシントンハイツのほか、同じくアメリカ軍の軍用地として使われていたキャンプ・ドレイク(埼玉県・朝霞)の南側地区があった。日本との返還交渉のなかでアメリカが提示してきた諸条件は、ワシントンハイツについては、「全面返還を認めるが、移転費用については日本が全面的に負担する」、キャンプドレイクについては、「全面返還には応じられないが、オリンピック開催期間中の一時使用は認める。しかし大会の終了後は即刻アメリカに引き渡す」というものであった。検討の結果、約2年間に及ぶアメリカ軍との交渉を経て、1961年(昭和36年)10月、ワシントンハイツへの選手村、さらに国立屋内総合競技場(国立代々木競技場)の設置が決定された。 旧ワシントンハイツの戸建住宅は選手村住宅として改修・活用され、東京オリンピック終了後に代々木公園として整備された後にも1戸だけが保存されている。この建物は同公園の原宿駅寄りにあり、旧ワシントンハイツにおける最も小型の住戸で、住居番号257号または258号であるという。この建物は東京オリンピックの開催期間中、オランダ選手の宿舎として使用されていた。 代々木公園に残る米軍住宅(2011年) ワシントンハイツ跡地に建つ国立代々木競技場(2010年) 国立オリンピック記念青少年総合センター(2008年)
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