付録十年戦争
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当時の婦人誌では、春夏秋冬の年4回だけ付録を付ける習慣だったが、1931年の『主婦之友』では新年号に続き2月号に別冊付録を付ける。すると『婦人倶楽部』3月号でも別冊付録を付けた。ここから二誌の付録合戦が過熱し、「片手で持てない大付録」といったキャッチフレーズも付き、1934年『主婦之友』新年号では、「家庭作法法典」512ページなどの十五大付録とし、新聞広告には「お買いになる方は風呂敷をお持ちください」と載せた。この頃両誌の発行部数は100万部を超えていたが、毎月赤字となり、これを見かねた実業之日本社先代社長の増田義一が仲裁に立ち、1941年に石川武美と講談社社長の野間清治の間で自粛協定が結ばれた。またこの間、『主婦之友』は最高発行部数163万部を記録した。
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