他所酒・摂泉十二郷の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
「日本酒の歴史」の記事における「他所酒・摂泉十二郷の形成」の解説
僧坊酒を継ぐように台頭してきたのが、室町時代中期から他所酒を生産し始めていた、摂津国猪名川上流の伊丹・池田・鴻池、武庫川上流の小浜(こはま)・大鹿などの酒郷であった。これらの酒郷は、のちに摂泉十二郷と呼ばれる上方の一大酒造地として発展していく母体となった。池田郷については「遠く飛鳥時代などに朝廷で造酒司の酒部たちが細々と酒を造っていたが、室町時代に酒の需要が高まったためそれでは追いつかなくなり、縁者が摂津で酒造りを始めたところ良い出来であったので、その子孫が池田郷に住んで酒造家になった」と古文書にある。 奈良流の諸白を改良し、効率的に清酒を大量生産する製法が、慶長5年(1600年)に伊丹の鴻池善右衛門によって開発され、これが大きな契機となって次第に酒が本格的に一般大衆にも流通するようになっていった。
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