他家の大名、水軍大将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:44 UTC 版)
「見知らぬ海へ」の記事における「他家の大名、水軍大将」の解説
長宗我部元親 土佐の大名であり、連合軍内で最大の大型船・大黒丸を擁している。部下の六右衛門からもせっかちと紹介されるほど気短で、海の男としての器量に欠ける人物として描かれている。小田原攻めの際に、正綱とともに清水康英篭もる下田城攻めを受け持つが、清水軍の粘り強さに業を煮やし、小田原落城と偽りの和議を申し出て康英らを騙し制圧する。騙されたことに憤激し叛乱を起こした下田城兵の処置で正綱と口論になり、砲撃によって強引に処刑しようとした所を向井水軍に襲撃され、帆柱を折られ降参することとなる。 その後、その憤懣を軍目付である石田三成に漏らしたことから両軍の審問になり、正綱を認めている九鬼嘉隆ら諸国の海賊大将たちに八分を宣告される。 池六右衛門 長宗我部家の海軍大将。主君、元親と違い海の男の道理を知った男である。審問の後、秀吉に帰国を命じられた際、三崎水軍の奇襲計画を知った正綱に共闘を持ちかけられ、これぞ真の海の男と感嘆する。 石田三成 豊臣連合軍の軍目付として登場する。元親の愚痴を耳にし、正綱を弾劾するべく審問を開いた。海賊たちの常識を介さぬ陸の男として描かれており、その一方的な了見で海賊大将たち、そして家康を立腹させてしまい、秀吉に叱責を受けることになる。 山中修理亮、彦之介兄弟 兄の修理亮は三崎の小規模な水軍を束ねる代官で、弟の彦之介は北条氏直の近習であった。包囲下の小田原城から脱出した彦之介によって背後からの奇襲作戦が計画されたが、漁師たちに特攻を命ずる彦之介に修理亮は乗り気ではなかった。後に計画は露見し、逆に襲撃を受けて彦之介は船ごと轟沈し、修理亮は降伏した。
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