交易の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/25 15:45 UTC 版)
紀元前2千年紀には、メソポタミア地方とキプロス島・クレタ島・エジプト地方を結ぶ貿易路が形成された。カトナはユーフラテス川中流域(マリなど)からタドモル(パルミラ)を経て地中海に至る道の半ばにあった。また、ユーフラテス川沿いのエマル(Emar)からヤムハド(ハラブ、アレッポ)、カトナ、ハツォル(Tel Hazor)-メギド(Tel Megiddo)を経てエジプトへ行く道も通っていた。カトナのあるホムス盆地の西には、南からのレバノン山脈が途切れ北へ続くシリア海岸部の山脈が始まる大きな谷間があり、地中海沿いの港ビブロスやトリポリへ向かう道が発していた。 カトナは、マリからカトナを経て地中海に至るスズ貿易の中継地であり、キプロスからの銅はこの貿易路を逆にたどってメソポタミアに向かっていた。マリから発見された大量の粘土板文書の中では、布や服、ある種の弓、宝石、木材、ワイン、二輪の戦車などが、カトナを経てマリに届く品物として挙げられており、一部は更にバビロンへと運ばれた。
※この「交易の歴史」の解説は、「カトナ」の解説の一部です。
「交易の歴史」を含む「カトナ」の記事については、「カトナ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から交易の歴史を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から交易の歴史 を検索
- 交易の歴史のページへのリンク