井の国と天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/02 08:35 UTC 版)
「浜名湖ロマン」の記事における「井の国と天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡」の解説
浜名湖北部の引佐細江に都田川が注いでいる。都田川の河口から約2km上流の気賀で井伊谷川と合流し、井伊谷川の更に上流で分岐した神宮川沿いに、天白岩倉遺跡がある。古代この地域を井の国と呼んでいたようである。 井の国とは一般的に水の豊富な地域を意味しているようで、この地域一帯は濃い緑の山々から緩やかな平地に向かって、一年中安定した水量の複数の川が流れている。遠い昔から人々が自然と共に豊かに生活を営んでいたことが容易に想像できる場所である。 天白磐座遺跡は古社である渭伊神社の北側の薬師山頂上にある。薬師山は三方を川で囲まれた標高約40mの低い山で、頂上には多数の岩があり磐座全体を構成している。 この地域一帯には多くの古墳が存在しており、古代、生活の為の治水は最も重要な事柄から、天白磐座遺跡は人々が末長く繁栄する事を願い、祈願した古代の祭祀場の様である。 現在でも磐座の巨石に手を当て、目を閉じると、頭上から何かが降りてくる気配を感じる魅力的な所である。 因みに井の国の井伊谷は徳川幕府の重臣であった井伊家代々の地である。その始祖である藤原共保は、浜名湖の瞳に位置する村櫛で育ち成人している。そして養父は当時、陸の孤島であったこの場所をなぜ選択したのか不思議である。 〔周辺の観光施設〕・井伊谷宮・龍潭寺・竜ヶ岩洞・実相寺
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