八光亭春輔とは? わかりやすく解説

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八光亭春輔

(五明楼春輔 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 23:23 UTC 版)

八光亭 春輔(はっこうてい はるすけ)は、落語の名跡。当代は三代目。


三代目 八光亭 はっこうてい 春輔 はるすけ
Hakkôtei Harusuke The 3rd
本名 岡庭 おかにわ はじめ
別名 藤間香寿太郎(日本舞踊藤間流勘右衛門派
生年月日 (1947-02-21) 1947年2月21日(78歳)
出身地 日本東京都世田谷区
師匠 林家彦六
名跡 1. 林家あとむ
(1964年 - 1969年)
2. 二代目林家照蔵
(1969年 - 1979年)
3. 三代目八光亭春輔
(1979年 - )
出囃子 喜撰
活動期間 1964年 -
配偶者 渡辺真知子
所属 落語協会
受賞歴
文化庁芸術祭賞(1993年)

三代目 八光亭 春輔(はっこうてい はるすけ、1947年2月21日 - )は、落語家東京都世田谷区出身。本名∶岡庭 弌落語協会所属。出囃子は「喜撰」。

経歴

世田谷高等学校卒業[1]しろうと寄席で通信亭三助の芸名で40回鐘を鳴らした経歴を持つ[2]

1964年7月、八代目林家正蔵に入門し六番弟子となる。前座名はあとむ

1969年7月、金原亭馬太呂と共に二ツ目昇進し、兄弟子五代目春風亭柳朝の前名林家照蔵に改名。1977年7月、藤間流家元五代目藤間勘右衛門より「香寿太郎」の名を貰い、藤間流名取になる。

1979年9月、二代目柳家菊語楼橘家二三蔵五代目金原亭馬好六代目柳家小團治五代目鈴の家馬勇と共に真打昇進し、三代目八光亭春輔を襲名。

1993年文化庁芸術祭賞受賞。

芸歴

人物

趣味は歌舞伎映画鑑賞。

師匠林家彦六が正蔵を名乗っていた時に真打になった最後の弟子である。

妻は人形劇団プーク所属の渡辺真知子。

演目

受賞歴

出典

脚注

注釈

出典

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.555
  2. ^ 国立歴史民俗博物館2013夏の特別企画

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