事業団の発足
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宇宙開発推進本部もロケット実験場の選定に取り掛かり、赤道に近い事を重視して1967年(昭和42年)に種子島を選定した。ところが、地元の漁協がロケット打ち上げが漁業に影響を与えるのではと難色を示し、漁協との交渉に1年以上を費やすこととなった。また、独自に人工衛星を打ち上げようとする東大に対しても自粛を求め、この間に東大は科学衛星だけを打ち上げる事、また将来にわたって大型ロケットの製造をしないとする協定を結び、両者が並立することとなった。翌1968年(昭和43年)に漁協との交渉がまとまり、ロケット打ち上げは漁業に影響しない月に行うとする協定が結ばれ、ロケット打ち上げ施設の建設が開始された。これが種子島宇宙センターである。 液体ロケットと固体ロケットを組み合わせたLS-Aロケットの打ち上げ実験はLS-Cロケットに引き継がれ、1968年(昭和43年)に種子島宇宙センター竹崎射場から1号機が打ち上げられ、1974年(昭和49年)までに合計8基が打ち上げられた。 1969年(昭和44年)10月1日、科学技術庁宇宙開発推進本部が発展的解消して、科学技術庁の下部機関として新たに宇宙開発事業団が発足した。
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