事件の津川への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:24 UTC 版)
「津川雅彦長女誘拐事件」の記事における「事件の津川への影響」の解説
当時、従前は演じる事が多かった主役での出演にこだわっていたため仕事が来なかった津川は経済的に妻に依存しており、犯人から要求された身代金も妻が捻出した。このことがきっかけで津川は「役者のこだわりよりもこの子のために何でもやって頑張るんだ」「とにかく片っ端からいろんな役をやってみよう」と一念発起し、役者としての幅が広がる結果となった。 自身が役者であったばかりに危険にさらされた娘に対し呵責を感じており、「彼女にとって世界一の父親になってやろう」と決意した津川は子煩悩になり、真由子に尽くした。津川は後に「誘拐犯はある意味、恩人と言ってもいいかもしれない」と振り返っている。娘のトラウマになることを恐れた津川は、事件について語ることなく過保護にもならないよう気を使いながら真由子を育てており、物心ついた本人が事件のことを初めて知ったのは、通っていた中学校で教師から教えられたときであった。 津川は2013年7月から北朝鮮による日本人拉致問題の啓発ポスターでモデルを務めていたが、拉致問題担当大臣だった古屋圭司によると、津川は古屋の依頼に対し「私は、かつて子どもが小さかった時に、誘拐されたことがあるんです。無事で帰ってきたからいいけれど、北朝鮮に何十年も(子どもを)拉致されたままの親の気持ちって、すごく分かるんですよ。ぜひ引き受けましょう!!」と語っていた。
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