主権国家体制の成立と政教関係の新展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 01:10 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「主権国家体制の成立と政教関係の新展開」の解説
16世紀は、スペイン・ポルトガルの両カトリック国が南北アメリカ大陸やアジア・アフリカの諸地域に進出していく一方、ヨーロッパ内部ではドイツやスイスの地を中心にルター、ツウィングリ、カルヴァンらによって宗教改革が始まり、プロテスタントの思想がヨーロッパ各地に広がって教会は分裂し、各地で宗教戦争が発生した。そうしたなか、スイスとオランダではハプスブルク家支配からの自立傾向が強まり、ドイツでは領邦教会制度が確立され、フランスではユグノー戦争のなかからナントの勅令が発せられ、イギリスではイングランド国教会という新しい教会が建てられ、宗派による一種の棲み分けが実現されつつあった。ポーランドやトランシルヴァニアでは寛容政策が採られ、制限付きながら信教の自由が実現した。思想的には、カルヴァン派のなかから暴君討伐論(モナルコマキ)、世俗主義的立場からはポリティークの考え方が現れた。17世紀前半、最大にして最後の宗教戦争である三十年戦争が起こるが、これはヨーロッパ中を巻き込むかたちで展開し、一方では宗教戦争の枠に収まらない世俗的性格を有していた。
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