主力による帰国の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:48 UTC 版)
「東洋艦隊 (ドイツ)」の記事における「主力による帰国の試み」の解説
第一次世界大戦の発生時、東アジア基地所属のほとんど全ての船が通常任務で、南太平洋のあちこちの島にあるドイツ植民地に散っており、装甲巡洋艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」はカロリン諸島のポナペに投錨していた。司令官はドイツ本国までの長い航海の兵站を考慮して、艦隊を北マリアナ諸島のパガン島に集結させ、給炭させた。 続いて、イギリス管理区域を通る全てのドイツ海底ケーブルが切断されていた事から、戦況の情報収集のために防護巡洋艦「ニュルンベルク」がアメリカ合衆国領ハワイのホノルルに緊急派遣された。また、シュペーは「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」でドイツ領サモアに向かい、東進してフランス領ポリネシアのパペーテを砲撃した。 この後、東洋艦隊はイースター島で艦隊の補助艦である石炭船から給炭した。この時点で太平洋における連合国側の戦力が圧倒多数になっていったため、これまでのような奇襲戦法の難しさから、シュペーは南米大陸のホーン岬から大西洋に入り、そこから北上してドイツ本国に帰還する事にした。 東洋艦隊の主力は1914年11月1日のコロネル沖海戦でイギリスの西インド艦隊(West Indies Squadron)と交戦し、イギリス側の装甲巡洋艦「グッド・ホープ」「モンマス」を撃沈した。だが大西洋を越えて帰港を目指す中、東洋艦隊の多くの艦が1914年12月8日のフォークランド沖海戦で、より強力なイギリス海軍の巡洋戦艦と巡洋艦によって撃破された。防護巡洋艦「ドレスデン」と数隻の補助艦は破壊を免れて太平洋に戻ったが、補助艦はチリの港で拿捕され、「ドレスデン」は1915年3月14日にマス・ア・ティエラの戦いで撃破された。仮装巡洋艦「プリンツ・アイテル・フリードリヒ」は大西洋で通商破壊戦を継続したが、1915年3月11日に物資が尽きたため、当時まだ中立国アメリカのニューポートニューズに入港して武装解除された。
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