中米連邦時期(1823年 - 1838年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:31 UTC 版)
「ホンジュラスの歴史」の記事における「中米連邦時期(1823年 - 1838年)」の解説
1823年、メキシコで革命が起き、皇帝アグスティン・デ・イトゥルビデが失脚した。メキシコ議会は中米のインテンデンシアに自己決定を許可することを議決した。同年、中米の5インテンデンシアはマヌエル・ホセ・アルセ(英語版)将軍の主導で中央アメリカ連合諸州に統合、「インテンデンシア」は「州」に改名された。 連邦時期の重要人物にはホンジュラス初の民主的に選出された大統領ディオニシオ・デ・エレーラ(英語版)(法律家でホンジュラス初の憲法を制定した)、連邦大統領のフランシスコ・モラサン(在位:1830年 - 1834年、1835年 - 1839年。連邦派の一員)、ホセ・セシリオ・デル・バリェ(英語版)(1821年9月15日の独立宣言の起草者、1823年にメキシコ外相を短期間務めた)がいる。 やがて、ホンジュラスと近隣諸州の社会と経済の差異により、中米の指導者の間で激しい党派闘争がおき、中米連邦は1838年から1839年にかけて崩壊、ホンジュラスも1838年10月に連邦から脱退して独立した。モラサン将軍は連邦の維持に苦心したが失敗した。その後、ホンジュラスの外交政策は第一次世界大戦終結まで中米の再統一を目標とした。
※この「中米連邦時期(1823年 - 1838年)」の解説は、「ホンジュラスの歴史」の解説の一部です。
「中米連邦時期(1823年 - 1838年)」を含む「ホンジュラスの歴史」の記事については、「ホンジュラスの歴史」の概要を参照ください。
- 中米連邦時期のページへのリンク