中等教育学校への改編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 00:32 UTC 版)
「東京都立大学附属高等学校」の記事における「中等教育学校への改編」の解説
1990年代に教育学者でもあった山住正己総長(当時)や歴代校長、教職員、同窓会などの下で改革論議が活発となる。1997年には『世界』(四月号)に論文「中高一貫教育試論」が発表される。1997年6月に文部科学省(文部省)の中央教育審議会第二次答申の提言を受けて、橋本龍太郎内閣において「学校教育法等の一部を改正する法律」が1998年6月に成立した。石原慎太郎東京都知事の都政の下では学区制の廃止、東京都立大学の改編、公立中高一貫校の導入などの政策が進められた。本校は早期に改編の対象となり、関係部局や有識者により設置に向けた準備が開始される。2004年に石坂康倫が開設準備担当校長として着任し、目黒地区中等教育学校の開設準備室を設置した。有識者に教育推進会議などではエマニュエル・パヴィヨン(在日フランス大使館文化部次席参事官)、亀山継夫(元最高裁判所判事)、小松郁夫(国立教育政策研究所高等教育研究部長)等が外部委員として招かれ協議が行われた。そして、東京都教育委員会(委員長:木村孟、委員:鳥海巌、米長邦雄、内館牧子、高坂節三、教育長:中村正彦)において提示された校名により、2005年の東京都議会第3回定例会にて「東京都立桜修館中等教育学校」として中等教育課程が編成された。
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