中田時懋とは? わかりやすく解説

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中田時懋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 19:19 UTC 版)

中田 時懋(なかた ときしげ、1853年3月12日嘉永6年2月3日[1][2]) - 1927年昭和2年)1月13日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級、功四級[4]

経歴

薩摩鹿児島藩熊毛郡西之表村(鹿児島県熊毛郡北種子村、西之表町を経て、現西之表市)出身[1]。中田貢の長男[2]1871年(明治4年9月)御親兵となり[2]1873年(明治6年)陸軍教導団に入り[1]1877年(明治10年)12月、陸軍士官学校旧1期卒業[4]西南戦争に従軍した[2]第1軍兵站部司令官として日清戦争に出征した[1]1897年(明治30年)10月、陸軍砲兵大佐に進級と同時に野戦砲兵第9連隊長に補され、1903年(明治36年)5月、陸軍少将に進級と同時に澎湖島要塞司令官に任じた[4]1906年(明治39年)3月、佐世保要塞司令官に転じ、1908年(明治41年)12月、陸軍中将に進級と同時に予備役に編入した[3][4]1911年(明治44年)4月、後備役に編入した[2]。晩年は鎌倉市に住んだ[2]

栄典

位階
勲章等

著作

  • 『鎌倉』鎌倉同人會、1919年。

脚注

  1. ^ a b c d 人事興信所 1903, 576頁.
  2. ^ a b c d e f 人事興信所 1915, な26頁.
  3. ^ a b 福川 2001, 516頁.
  4. ^ a b c d 外山 1981, 49頁.
  5. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  6. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  7. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  8. ^ 『官報』第5845号「叙任及辞令」1902年12月25日。
  9. ^ 『官報』第7377号「叙任及辞令」1908年2月1日。
  10. ^ 『官報』第7709号「叙任及辞令」1909年3月11日。
  11. ^ 『官報』第3916号・付録「辞令」1896年7月18日。p3

参考文献




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