中尾純利とは? わかりやすく解説

中尾純利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/20 00:10 UTC 版)

中尾 純利(なかお すみとし、1903年2月25日[1] - 1960年4月26日)は日本のパイロットである。1939年昭和14年)8月、世界一周親善飛行を行った純国産機、「ニッポン号」の機長を務めた。

略歴

1903年明治36年)、鹿児島県出水郡阿久根村(後の阿久根市)に生まれた。選抜試験に合格し航空局委託操縦生の第一期生として1921年(大正10年)1月に所沢陸軍飛行学校へ入学[注釈 1]。同年9月に首席で卒業すると、三菱重工業テストパイロットとなった。1928年(昭和3年)には日本陸軍次期戦闘機の競争試作に応募した陸軍三菱隼型試作戦闘機(1MF2)を操縦し、所沢飛行場での試験飛行で急降下中にパラソル翼が機体から外れ、中尾はパラシュートを使って脱出した。これが日本における航空機からの最初のパラシュート脱出の記録となる。

1939年(昭和14年)、毎日新聞社が企画した世界一周親善飛行の機長に選ばれ、自身を含む乗員7名[注釈 2]を乗せて飛ぶこことなった。同年8月26日、詰めかけた群衆に見送られ羽田飛行場を出発、札幌から北大平洋を渡る15時間、4,300kmの飛行でアラスカのノームへ。その後、シアトル、ロサンゼルス、ニューヨーク、マイアミと北米各地を回る。中米のサンサルバドルを経由し南米大陸に入ると、カリ、リマ、サンティアゴと大陸西岸を南下し、アンデス山脈を越えて東岸のブエノスアイレスに寄航。続いて北上し、リオデジャネイロからナタールへ。ここから約12時間、3,000kmの飛行で大西洋を越えアフリカ大陸のダカールに到達。北上しカサブランカを経てローマを訪問した。地中海のロードス島に立寄り、イラクのバスラ、当時まだイギリス領だったカラチを経てカルカッタまで。その後バンコクと台北を経由して東京へと無事帰還した[3]

5大陸20か国を所要日数56日、実飛行時間194時間、総距離52,860kmの飛行に成功。この途中、アメリカのロサンゼルスとマイアミでは、それぞれ空への挑戦の結果落命した後藤正志アメリア・イアハートの碑に献花している[4]

朝鮮戦争勃発後、秘密裡に米軍に雇用され、航空交通管制を学んだ後、米軍機に乗って米軍人や軍需物資の輸送を行った[5]。中尾を中心に集められた民間航空出身者[注釈 3]は、戦前おもに中国大陸台湾東南アジアを飛んでいた熟練パイロットで、山中での夜間飛行が苦手だった米軍パイロットに代わって人選された[5]。戦後、日本の民間航空の復活が西ドイツより2年も早かったのは、中尾らの米軍協力を材料に、松尾静磨が占領軍(GHQ)に対して強く掛け合った結果である[6]という。

日本の独立が回復した1952年(昭和27年)、中尾は東京国際空港の初代空港長となった[6]。また、中尾と共に朝鮮戦争に従事した他のメンバー7名も、その後は全日空日航の機長となって後輩の育成に努めたほか、各航空会社の専務取締役、常務取締役に就任している[5]

脚注

注釈

  1. ^ 一期生には他に小川寛爾、羽太文夫、河内一彦らがいた。
  2. ^ 親善使節・大原武夫、機長・中尾純利、操縦士・吉田重雄、機関士・下川一、技術員・佐伯弘、通信士・佐藤信貞、通信士兼機関士、八百川長作の7名であった。使節の大原は本社航空部長[2]
  3. ^ 石田功、後藤安仁、瀬川五郎、宮原彰義、前嶋久光、三堀美男、山口登ら。

出典

  1. ^ 『人事興信録 第20版 下』人事興信所、1959年、な14頁。
  2. ^ 『ニッポン世界一周大飛行』大阪毎日新聞社ほか、1940年、303頁。NDLJP:1877057/173 
  3. ^ 『ニッポン世界一周大飛行』大阪毎日新聞社ほか、1940年、30頁。NDLJP:1877057/37 
  4. ^ 『ニッポン世界一周大飛行』大阪毎日新聞社ほか、1940年。NDLJP:1877057/18 
  5. ^ a b c 佐藤一一『日本民間航空通史』国書刊行会、2003年、279、280頁。
  6. ^ a b 佐藤一一『日本民間航空通史』国書刊行会、2003年、280頁。

関連図書

  • マンガふるさとの偉人「ニッポン号世界を飛ぶ ~日本初、国産機で世界一周を成し遂げた中尾純利~」 発行 鹿児島県阿久根市 2024年3月 https://www.bgf.or.jp/bgmanga/337/

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