中央アルプス市に決まった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/29 04:51 UTC 版)
「中央アルプス市」の記事における「中央アルプス市に決まった経緯」の解説
合併協議会では「駒ヶ根市だと吸収合併というイメージが強く、地元住民(特に、飯島、中川)からの賛同が得られにくい」「伊南市では、隣接する伊那市と名前が似ていて紛らわしい」といった意見が出て、さらに最終的に、「3つの自治体が対等な立場で合併して、新しい街づくりを進めるにはそれを共有できる新しい名前にするべきだ」「永久不変である中央アルプスからの眺めは3つの自治体の共有財産で、また3つの自治体を包括、特定しやすい」といった理由から、新市名を「中央アルプス市」に決定した。 だが、その月に3つの自治体で合併の是非を問う住民投票を行った。その結果、駒ヶ根市と飯島町では反対票が大多数を占めたため、この3つの自治体での合併計画は白紙撤回された。 反対理由としては、カタカナの市名への抵抗、また「駒ヶ根」の名称の消滅などがあげられている。このほか、「南アルプス市の二番煎じ」という声も多く聞かれ、同時期に愛知県における南セントレア市の騒動が大きなニュースになり、それとともに全国ネットのニュースでも話題になり、大きなマイナスイメージとなった。 主役であるはずの住民が無視された形の新市名の決定であり、その不透明さに住民が大きく反発した結果になった。
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