中国における太傅とは? わかりやすく解説

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中国における太傅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 06:29 UTC 版)

太傅」の記事における「中国における太傅」の解説

『漢書』百官公卿表上によればにおいては太師太傅太保三公呼ばれ天子助け導き国政参与するであったとされる。 漢においては金印紫綬で、三公より地位上であった(この場合三公とは大司馬大司徒大司空)。前漢呂后元年紀元前187年)、右丞相王陵太傅となっているのが初出である。『漢書』王陵によれば呂后たてつく王陵から丞相実権を奪うための措置であったとされ、地位上で実権無かったようである。呂后8年紀元前180年)にも左丞相審食其太傅とされている。 その後置かれず、前漢末の平帝元寿2年紀元前1年)になり、幼くして王莽らに擁立されて即位した平帝補佐教育のため丞相孔光太傅となった翌年元始元年1年)には太師太傅太保置かれ孔光太師となって太傅には王莽大司馬兼ねて就任した太傅太師次ぎ太保の上に当たる地位であった太師太傅太保および少傅の四官を四輔呼んだ後漢において太傅皇帝新たに即位するごとにしばしば置かれ録尚書事兼任するのが通例であったその後、魏においても太傅置かれた。晋においては再度太師太傅太保置いたが、「師」が景帝司馬師の諱であることから避けて太師太宰称したそれ以降王朝でも太師太傅太保置かれたが、総じてふさわしい者が居なければ空位とする名誉職であった北魏では太師太傅太保三師呼んでいる。 なお、前漢では諸侯王の師として諸侯王太傅置かれていたが、成帝時代諸侯王太傅を傅と呼ぶようになった

※この「中国における太傅」の解説は、「太傅」の解説の一部です。
「中国における太傅」を含む「太傅」の記事については、「太傅」の概要を参照ください。

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