中医協委員として
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2009年10月、脳動脈瘤の手術を行っている最中に中央社会保険医療協議会(中医協)の委員就任要請の電話を受け、受諾。高度医療の現場を知る委員として、山形大学等の現場のデータに基づき、そうした高度医療に対する診療報酬が正しく評価されてこなかったことを明らかにするとともに、開業医も含めた「医師の仕事が正しく評価される」報酬体系の確立をプリンシプルに掲げ、積極的な議論を展開。こうした場での歯に衣着せぬ発言は、医療政策の「台風の目」とも評された。 この結果、2010年度改定では、10年ぶりのプラス改定が実現し、プラス財源4,800億円のうち、15.8%に当たる約760億円(文科省試算)が大学病院等の特定機能病院に投入されることになった。この点について、鈴木寛文部科学副大臣は、嘉山が医学部長の委員として初めて選任され、現場からのエビデンスに基づく議論を進めたことで、大学病院の実態に即した重点的な改定が実現できたとした。 さらに、改定後には、元財務官僚の村上正泰を山形大学医学部医療政策学講座に教授として迎え入れ、引き続き、物と技術料を勘案した診療報酬体系の創出、エビデンスベースの議論(積算方式)を進めていくとしている。
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