世祖の強権政治反対
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 16:09 UTC 版)
世祖は即位直後王権強化の一環で領議政・左議政・右議政などの三政丞と左賛成、右賛成が六曹判書たちの政務を決裁する議政府署事制で王が直接六曹判書たちの書類を決裁して政務を主幹する六朝職階制への改訂を推進した。しかし礼曹参判である河緯地が早い段階から反対した。 即位直後、世祖は河緯地の才と信念を惜しみ、幾度も教書を下げて呼びかけ、礼曹判書参判に任命した。しかし、彼は端宗に忠実であったため、世祖の禄を食むことを恥じて、世祖が即位日からの俸禄は別に一部屋に積んで手をつけなかった。世祖の強権政治と対立し、王の怒りを買って推鞫の命を受けたりした。 世祖は即位すると王権強化策で従来から施行した議政府本来の権限である署事制を廃止させ、六朝が官長事務を議政府を経ず直接王に上渓する六曹直啓制を施行して議政府の権限を縮めた。このような世祖の謀略に反対し、中国の古代王朝・周の制度を持って議政府署事制の復活を強力に主張した。
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