世界ジュニア王者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:24 UTC 版)
「KAI (プロレスラー)」の記事における「世界ジュニア王者へ」の解説
2011年からは、当時のジュニア王者稔が打ち出した「全日本ジュニア三強時代」に対抗するため、鈴木とのシングルマッチを経験。 4月には、師匠であるカズ・ハヤシとのタッグでジュニア・タッグリーグ戦で優勝。パートナーのカズとの挑戦者決定戦も制した後、稔の世界ジュニア王座への挑戦も決定した。だが、スーパーヘイト暴行事件の影響により、稔が王座から剥奪されてしまう。6月12日後楽園ホール大会でのラダーマッチを制した近藤との王者決定戦を6月19日両国国技館で行うこととなり、見事三度目の正直で世界ジュニア王座を獲得した。 2011年のジュニア・ヘビー級リーグ戦では決勝戦で金本浩二を破り、史上初の王者として優勝を果たした。 ジュニアリーグ制覇後のケニー・オメガとの防衛戦では敗れ、全王座流出の一端を担ってしまう。KAIもその後、中々雪辱の機会に恵まれずにいたが中澤マイケルとの試合、Gilletteと組んでのジュニア・タッグリーグでのオメガへのアピールを経て挑戦が決定、王座を取り戻す。 2012年、JUNIOR HYPER LEAGUEと改称してのリーグ戦では、史上初の王者として連覇を目論むが近藤に阻まれる。次のシリーズでは強さを求めヘビー級の選手たちとのタッグ・シングルマッチを展開。KAIも精神面では負けていなかったものの、肉体面でついていかず、これがKAIのヘビー級転向のきっかけとなった。
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