下駄スケートと雪スケート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:49 UTC 版)
「スケート靴」の記事における「下駄スケートと雪スケート」の解説
日本におけるスケートの発祥については諸説あるが、おおむね以下のものが知られている。 1792年 - 根室、アダム・ラクスマン(ロシア) 1861年 - 函館、トーマス・ブラキストン(イギリス) 1877年 - 札幌、ウィリアム・ブルックス(アメリカ) 1891年には新渡戸稲造がアメリカから札幌農学校へ3足のスケートを持ち帰っている。 幕末期には下駄に竹や鉄を取り付けたソリ状の滑り下駄があったが、これに対して海外から新たにもたらされたスケートに影響を受け、下駄に金属製のブレードを組み合わせた下駄スケートが作られた。1908年には諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの大会が開催されている。 北海道では昭和30年代頃まで、金属製のブレードを長靴に革バンドで固定した雪スケートが子どもたちの冬の玩具として人気があった。機械スケート、ガチャスケートなどとも呼ばれた。(注:雪スケートといっても、氷の上でも利用され、長靴の他、スキー靴にも固定されて使われた。発展したタイプのものは、靴の大きさに合わせて寸法調整が可能で、調整用に柱時計のゼンマイ巻きの道具に似たものが付属していた)
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