上海銀行の台頭
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商家の家庭に生まれ、父の下で学徒として商売を学び、あわせて余暇に英語を習っている。1902年(光緒28年)、漢陽兵工廠で通訳を担当した。1904年(光緒30年)に湖北省代表団随員としてセントルイス国際博覧会を視察する。その後、官費留学が認められ、1909年にペンシルベニア大学を卒業した。帰国後は南洋勧業会外事科主任に任ぜられ、1911年(宣統3年)江蘇省銀行督察に任ぜられた。 中華民国成立後の1914年(民国3年)に中国銀行顧問となった。その翌年には、上海で上海商業儲蓄銀行(略称「上海銀行」)を創設し、その総経理となった。主に新興の商工業者への金融支援を展開し、上海銀行の規模は順調に拡大している。1923年(民国12年)、上海銀行旅行部を創設し、後にこれを基礎にして、中国国内企業として初の旅行会社である中国旅行社を創設した。 1925年(民国14年)、陳光甫は北京政府の段祺瑞が召集した善後会議に出席している。その一方で、中国国民党(国民政府)の孔祥熙・宋子文とも上海の事業を通して連携を構築した。1927年(民国16年)3月、虞洽卿が組織した江蘇兼上海財政委員会において陳は主任に任ぜられ、上海金融界を通して国民政府への資金援助を行っている。翌月、上海クーデターが勃発すると、蒋介石を支持し、「江海関二五附税庫券」を発行するなどの財政支援を行った。
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