上清経の成立
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東晋の363年から371年にかけて、(丹陽郡句容県茅山)にて神降ろしの儀式が行われた。ここでは、霊媒の楊羲のもとに魏華存(中国語版)・三茅君といった神仙が降臨し、経典とお告げの言葉を授け、これを楊羲・許謐・許翽らが書写した。これはのちに南朝梁の陶弘景によって整理され、『真誥』7篇が成立した。『真誥』など許氏一族の活動によって作られた経典のほか、『黄庭経』といった古いものを含みつつ、六朝末に至るまで蓄積された経典群が『上清経』である。この『上清経』を根本とする道教の一派が「上清派」(茅山上清派・茅山派・上清道・上清教とも)である。
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