上杉謙信へのけん制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 07:54 UTC 版)
詳細は「越中の戦国時代」を参照 元亀3年(1572年)8月には、上杉謙信を牽制するため、武田信玄は顕如に要請して越中に加賀一向一揆を侵攻させ、越中一向一揆と合流させた(越中一向一揆、尻垂坂の戦い参照)。このときの越中一向一揆は大規模なもので、勝興寺顕栄・瑞泉寺顕秀ら本願寺坊官のほかに椎名康胤ら越中の武将も参加して上杉謙信に敵対した。このため、上杉謙信は一揆の鎮圧に専念することとなり、武田氏領に侵攻する余裕は無かった。 武田信玄は同年10月には浅井氏・朝倉氏に織田信長への牽制を要請し、三河徳川領国への侵攻を開始している。
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