上杉謙信の関東出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 00:18 UTC 版)
永禄3年(1560年)の秋(旧暦8月)、越後国の長尾景虎(上杉謙信)は三国峠を越えて上野国(群馬県)に侵攻した。上杉憲政を奉じ、関東地方を簒奪した後北条氏を攻撃するためである(上杉謙信の越山)。 越後勢はまず上野国北部の沼田城(沼田市)を攻略、次いで厩橋城(前橋市)・那波城(伊勢崎市)・館林城(館林市)などを攻撃した。 長尾景虎(上杉謙信)はそのまま関東に留まり越年すると、翌永禄4年(1561年)には南関東へ進出、鎌倉を攻め落として後北条氏の本拠小田原城に迫った。この年の春(旧暦・閏3月)には上杉憲政より正式に山内上杉家の家督と関東管領職を譲り受けた。 この一連の出兵により、関東の諸勢力は、いちどは後北条氏に属していた者も、続々と越後上杉氏の幕下に従うようになった。その諸将を記録したものが「関東幕注文」である。
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