ヴェリコフスキー主義
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「イマヌエル・ヴェリコフスキー」の記事における「ヴェリコフスキー主義」の解説
1960年代から1970年代にかけて、ヴェリコフスキーに触発された追随者が多数出現した。政治学者 Alfred de Grazia は自身の雑誌 American Behavioral Scientist の1963年の号でヴェリコフスキーを特集し、さらにそれを単行本に発展させ1966年に The Velikovsky Affair を出版した。de Grazia の後の著書 Cosmic Heretics (1984) についての The Skeptical Inquirer の書評では、ヴェリコフスキーが1970年代にも忘れ去られなかったのは de Grazia の努力の賜物かもしれないとしている。 1974年、現代版(特にヴェリコフスキー版の)天変地異説への高まる興味に呼応して Society for Interdisciplinary Studies (SIS) が創設された。1985年には SIS から Institute for the Study of Interdisciplinary Sciences (ISIS) が独立した。これは David Rohl が新たに自説の古代史を構築し、ヴェリコフスキー版古代史を否定したことから分離に至ったものである。 1975年にはヴェリコフスキーの説を扱う雑誌 Kronos: A Journal of Interdisciplinary Synthesis が創刊。1972年から1975年にかけては、Pensée: Immanuel Velikovsky Reconsidered という雑誌が10号まで発刊されていた。ヴェリコフスキーをめぐる論争は1970年代中ごろにピークに達し、1980年代には沈静化した。1984年にはかつてヴェリコフスキー主義者だった C. Leroy Ellenberger が積極的な反対派に鞍替えしている。2000年代に入って以降も David Talbott などのヴェリコフスキー主義者が活動している。
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