ヴェラーの転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/20 08:18 UTC 版)
「ヴェラー弦楽四重奏団」の記事における「ヴェラーの転身」の解説
主宰者ワルター・ヴェラ−は、1958年にわずか19歳でウィーン・フィルに入団し、翌1959年に弱冠20歳でミュンヘン国際音楽コンクールで優勝すると、このヴェラー弦楽四重奏団を結成している。なお、ウィーン・フィルに入団当初、ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団で第2ヴァイオリンを弾くなど、室内楽の経験を積んでいる。ヴェラー弦楽四重奏団が名声を得始める時期は、ちょうどバリリ四重奏団がワルター・バリリの右肘の故障により解散する時期でもあり、世界の音楽ファンの期待を集めた。しかし1969年、30歳のときにヴェラーは指揮者に転身してしまう。これはウィーンの人間にとって、大変に評判の悪い事件であった。団員の中には「楽な音楽人生を送るために、練習しなくてもよい指揮者に転身した」と言うものもおり、この転身はウィーン音楽界の汚点であるとさえ言われる。指揮者は他に多くいるが、ヴェラーのような名手は滅多にいないからである(ウィーン・フィルの歴代コンサートマスターの中でも特に名手であったといわれる)。
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